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イシモクの歴史

1973年10月 石山木芸として独立創業
1979年10月 有限会社 イシモク設立
1993年01月 株式会社 イシモクに組織変更
1993年11月 現在の場所に本社新社屋新築移転
1994年05月 桐床の研究開発着手並び生産販売開始
1999年09月 桐床及び建材部材生産工場を増築
2002年09月 中国河南省に桐の製材工場合併会社設立
2003年03月 本社工場跡にライフスタイルショップ改装オープン
2006年07月 桐タンス&桐家具生産工場新築移転及び本社工場跡にギャラリーオープン
2006年11月 「KIRIKO」神戸店を神戸北野異人館ビルにオープン
2007年09月 「KIRIKO」日本橋店、日本橋本町3丁目にオープン
2008年03月 「KIRIKO」神戸店、北野から住吉に移転リニューアルオープン
2008年10月 創業35年を機に社長石山陽右、会長に就任
2010年06月 システムキッチン開発に伴い、本店ギャラリー内カフェコーナーリニューアル

イシモク物語

桐との出会い

桐の伝道師今でこそイシモクは「桐子モダン」というブランドでさまざまな桐製品を製造・販売していますが、20年ほど前までは私自身、あまり桐には関心を持っていませんでした。というのも、その頃のイシモクは、とある家具メーカーの下請けとして食器棚の扉部分を作っている木材加工業者。仕事は非常に順調で、会社としてもとてもうるおっている状態だったからです。

どれだけうるおっていたか?それは、社長の私自身が毎日のように新潟市の古町という繁華街までタクシーを飛ばして飲みに出かけていくほど。イシモクがある加茂市から新潟市までは約1時間の距離ですから、けっこうなお大尽だったわけですね(笑)。

しかし、世の中そうそう甘くはありません。そうやって調子づいている矢先に取引先の家具メーカーが倒産してしまったのです。当然、それまであった仕事はなくなり、売上も急激にダウン。うるおっていたフトコロもあっという間に干からびて(笑)、さて困ったという状況になりました。社員たちもその当時は 20数名いたのですが、会社のそういう現状を見て1人去り、2人去り・・・。あれよあれよという間に少なくなっていきました。

しかし、それでも「まあ、もう一回がんばりましょうよ」と残ってくれた社員たちもいました。そのなかに昔、桐箪笥職人だった社員たちがいたわけです。「じゃあ一つ、桐箪笥でも作ってみようか」ほかに仕事がない状態でしたから、その桐職人たちの腕に望みを託して桐製品を扱うようになったのです。今から考えれば、そうした桐との出会いはまさに「地獄に仏」だったと言えますね。

勢いづいた時に社屋が火事!

取引先の倒産で“お先真っ暗”という時にイシモクは桐に出会いました。言ってみればこれが最後の頼みの綱。そのため私自身、販売には力を入れましたね。製造に力を入れようにも、箪笥を作る技術が私にはありませんから(笑)。 桐箪笥は伝統工芸品に指定されることからもわかるように、高度な技術が必要です。その技術を持った職人たちが会社に残ってくれたのは大きな救いだったと言えます。そんな彼らの好意に応えるためにも、製品はぜひとも売らなければならない。そう思って私は桐箪笥をトラックに積んで東京の問屋街に売り込みに行きました。10数軒ほどまわったでしょうか。最初はあまり手応えのある反応は得られなかったんですが、そのうち2軒が「取り引きしてもいいよ」と言ってくれたんですね。まあ、これで面目もたつなとホッと胸をなでおろして新潟に戻ってきました。

しばらくすると、その問屋さんから新たに注文が入りました。「やった!」と喜んでいるうちにまた追加注文。そしてまた新たに・・・という具合に、ひっきりなしに桐箪笥が売れるようになりました。これはやはり、うちの職人たちの腕が良かったんですね。おかげさまで売上も急速に復活して、一息つくことができました。

ということでまたタクシーで飲みに・・・なんてことはもちろんせず(笑)、仕事に励んだのは言うまでもありません。しかし、そこでまた事態は急変。なんと、社屋が火事になっちゃったんですね。全焼です。せっかく再出発したのに、また一からやり直し。さすがに気力も萎えてしまいましたが、職人たちの励ましもあって(彼らはまた会社に残ってくれたのです)、社屋跡にプレハブ小屋を建てて細々と仕事を再開しました。

これで話が終わればいいんですが、ある時、県の人たちがうちに訪れてこう言いました。
「この場所は県の河川改修工事の区域になったので立ち退いてください」
一難去ってまた一難とはこのことです。

新社屋は喫茶店?

社屋が全焼したことにもめげず、細々とプレハブ小屋で仕事を再開した矢先に県から言われたのが「立ち退いてください」。だからといって「はい、そうですか」と簡単にうなずくわけにはいきません。移転する土地がなければ、そこで会社は終わりですからね。そういう事情もあって県が所有していた土地と交換する形で移転したのが、現在の新社屋です。

この社屋は信濃川のすぐそばにあり、その川岸には果樹園が広がっています。一度来ていただくとわかりますが、ここから見る眺めは素晴らしいですよ。でも、その眺めを楽しむ前にきっと驚くのがここの外観でしょう。木工所のイメージとはほど遠くて、自分で言うのもなんですが、オシャレな建物です(笑)。木造二階建てのログハウス風で、一見すると喫茶店。県道に面して立っているため、喫茶店と間違えて訪れるお客様も実際にいらっしゃいます。
そういう方があまりに多いので、しまいにはコーヒーも出すようにしました(笑)。

社屋喫茶店

店内にはいつもジャズを流しているので、本当に喫茶店としての役割も果たしています。
とはいっても、本来の役割は木工所としての工房と、あとは桐製品の展示即売場。でも、くつろぎの空間として多くの方に親しまれるようになっているのはうれしいことだと思っています。
「ここに来ると妙に和むんだよね」
とお客様からよく言われますが、これは実際に来てみると感じていただけます。その理由は桐にあるんですが、まあそれは後でお話することにしましょう。

この社屋はかなり話題を集めて、今では年間およそ8,000人のお客様が訪れるまでになっています。火事や立ち退きのことを考えると「災い転じて福となす」というところでしょうか。

作り手の顔を見せなきゃ

桐の伝道師移転して新しく建てた社屋。それは喫茶店によく間違えられるほどに従来の木工所のイメージとはかけ離れていました。「なぜ、こういう社屋を?」という質問は今でもよく受けます。その理由なんですが、三つあります。

まず一つ目は「作り手の顔を見せたかったから」です。

桐製品は一生モノです。例えば桐箪笥は母から子へ、孫へと受け継がれていくと言われるくらいに長く愛用していただけます。一度購入したらずっと使えるわけです。そういう製品ですから作り手としても「いいモノを作るぞ」という責任と誇りがあるんですね。その証しとして工房を開放して、お客様が入りやすいようにしたわけです。お客様としてもどういう人間が作っているのかがわかると安心できますよね。最近では店頭で売られている農作物などにも作り手の顔を見せるようになっていますが、それと同じことです。

二つ目は「ものづくり現場のイメージアップ」です。

今はもう"3K"という言葉はすたれてきましたが、少し前までは職人の現場はきついとか危険だとか言われていたものです。それにともなって、ものづくりが軽んじられるようになった感はやはり否めません。しかし日本人はもともとものづくりが好きな民族です。資源が少ない国であるため、ものづくりによって発展もしてきました。それなのに“3K”ですからね(笑)。
当然、若い人たちも離れていきます。そういう流れを変えるには、ものづくりの現場のイメージアップも一つの手ではないか。そう思って、ものづくりの現場に洗練された雰囲気を演出してみたわけです。

三つ目ですが、これは「桐の認知度向上」のため。

桐は優れた素材ですが、まだまだ一般的にはなじみが薄いと言えます。その桐の魅力を知ってもらうには実際の桐製品にふれていただくしかありません。百聞は一見に如かずです。気軽に立ち寄れて、桐に親しみ、気に入ったらその場で購入もできる。そういう狙いもあったのです。

きっかけは酒盛りだった

桐の伝道師新社屋を建てた年(1993年)、イシモクは「桐の座布団」という商品を開発しました。「木でできた座布団? お尻が痛くなりそう」と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、そうでもありません。だって、木製の椅子には座れますよね? この桐の座布団が生まれた経緯をお話してみましょう。

前にも言いましたが、桐箪笥は伝統工芸品。専門の技術を持った桐箪笥職人しか作れません。私は桐箪笥職人ではないので、製造では職人である社員たちの前段階の仕事を手伝っていました。でも手伝いだけじゃ、やはり面白くない(笑)。そこで、この桐を使って何かできないかと考え始めた。箪笥以外にですね。桐を扱うようになってわかったんですが、この素材は柔らかいし、あたたかい。それに軽いわけです。
工夫次第できっと何かができると思わせる素材でした。
そんなある日、新社屋に私の友人たちが遊びにやってきました。

季節は冬で、外は雪景色。こうなると「ひとつ、雪見酒でも」ということになります(笑)。友人たちも私もまんざら嫌いなほうではありませんから(笑)。それで飲み始めたのはいいのですが、どうも暖房が足りなくてうっすらと冷える。「寒い寒い」と言いながら何気なく手にしたのが、桐の板です。箪笥に使う素材の余りだったと思いますが、それが近くに転がっていたんですね。 で、それをまた何気なくお尻の下に敷いた。すると、これがけっこうあったかいんです。

「これだ!」

思わず大きな声を出した私に友人たちも驚いたようですが、これがその後のイシモクの方向性を決定づけたのです。「瓢箪から駒」にちなんで、「酒盛りから座布団」とでも言いましょうか。桐の座布団はすぐに商品化し、話題を集めました。
しかし、本番はまだまだこれから。「座布団の次は、さあ何ができる?と私はまた考え始めたのでした。

なに、腰痛にいい?

寒さしのぎになるかと何気なくお尻に敷いた桐の板。それが思いのほかあたたかったので製品化へとこぎつけたのが「桐の座布団」でした。
それが呼び水となったのでしょう、家のなかにあるものを見渡してみて、あれもこれも桐で作れるのではないかと考えるようになりました。その“視点”を得てからは発想がどんどん湧き出てきて、その後ベッドやクローゼットなどを作るようになったのです。家具だけではなく調理器具にも目をつけ、まな板も開発しました。

その一方で、工房の床も桐に変えました。理由は製品を傷つけないため。桐は柔らかい素材ですから、もし製品が倒れたりした場合でもクッションの役目を果たしてくれると考えたわけです。
この、床を桐に変えたことは思いも寄らぬ効用を生み出しました。ある時、一人の社員(桐箪笥職人です)が、こんなことを言い出したのです。

「どうも最近、腰の調子がいいんだよ」

その社員は長年の腰痛持ち。それが調子よくなったのというのは、もしかしたら床を桐に変えたからだろうか……?考えてみれば、桐箪笥が重宝されるのはなかに入れる着物をしっかりと守るからです。その着物が桐に触れるのは、底板です。桐箪笥を家に喩えると、底板と床はイコールになる。だったら、家の床を桐にすれば人の体もしっかり守るのではないだろうか?

「よし、家の床も桐にしよう!」

その瞬間、日本の家のフローリングを根底から変える桐の床「桐暖」の発想が生まれたのです。その発想から製品化までは約2年の歳月がかかりましたが、この「桐暖」は日本の暮らしを変えると私は確信しています。なぜなら、それまで日本の家庭で用いられてきたフローリングがあまりにひどかったからです。

魅力いっぱいの桐

みなさんがイシモクに来られた時、ぜひ手にふれていただきたいものがあります。それは、一枚の板。表面には一般的なフローリングで使われる素材と桐を並べて張っています。この板は従来のフローリングと桐の床との違いを肌で感じていただくもの。違いを強調するために、いつも冷蔵庫の中でキンキンに冷やしています。この板に両手をぺたんと置くと、まず100人中100人が「えっ!」と声をあげます。フローリング材のほうは冷たくてさわってられない。でも、桐のほうはさらりとして気持ちがいい。驚いているお客様を見て、私はすかさずこう言います。

「その冷たくてどうしようもない板の上に、日本人は暮らしているんですよ」

これまで日本の家屋で用いられてきたフローリングがいかにひどいものか、それだけでお客様は納得してくれます。とてもじゃないですが真冬にカーペットなしでフローリングの部屋を使うことはできません。夏ならカーペットがいらないかというと、今度は床が固すぎてどうしようもない。だからカーペットを敷くわけですが、これが家ダニの温床になる。言わば、これまでのフローリング材は家ダニと一緒に住むことを選択しているようなものだったんですね。家ダニがアレルギーの原因になることを知ってか知らずか(笑)。逆に桐の床ですが、これは素材の特性から暮らしに優しいメリットが多い。まず素材そのものに温もりがあり、肌に心地よい。素足の文化である日本の暮らしにぴったりです。それに軽くて柔らかいので、床の上で転倒してもクッションとして受け止めてくれる。

従来のフローリングは頑丈なので、転倒するとケガのもと。桐は傷つきやすい素材ですが、私は転倒した時に家族が傷つくよりも床が傷つくほうがよほど人間的な暮らしだと思います(笑)。ちなみに桐は強い復元力を持っていて、少々の傷やへこみはすぐに直ります。 ほかにも桐には乾燥に強い、腐りにくい、燃えにくい、水分を吸収しないといったいろんな特色があります。こういう優れた素材が、これまで日本の暮らしであまり活用されてこなかったのは、いかにも残念なことです。

庶民には手が届かない?

桐の花私が桐の魅力をアピールすると、中にはこういう疑問を投げかける方がいます。
「そんなに優れた素材なら、どうして今まで日本の暮らしの中で定着してこなかったのだろう?」 確かにもっともな疑問です。そしてもちろん、その疑問に対するもっともな理由があります。

庶民は紫のものを身につけることが禁じられていたという話をお聞き及びの方もいらっしゃるでしょう。そういう高貴な色の花を咲かせる桐は、昔から高級な素材として一部の人々だけに愛用されていたわけです。 例えば、私が聞いているところでは皇室の寝室には桐が建材として使われていたとのことです。あと、島根県にある松江城の内部にも桐が用いられていたとか。ある地方の豪農は雪隠、いわゆるトイレですね(笑)、その床に桐を使っていたという話もあります。昔は限られた人たちしか使うことが許されなかったから、庶民の私たちの暮らしに桐が定着しなかった。桐箪笥がタンスの中でも最高級品として位置づけられているのも、そういうところからきています。また、桐下駄も同じように高級なものとして扱われてきました。

これは余談になりますが、私が桐の床の良さを口にすると、あるお年寄りの方が「桐のような高級なものを床にして踏みつけるなんてもったいない」とおっしゃいました。でも考えてみれば、下駄も足で踏んでますよね(笑)。

話を戻すと、今は身分の区別のない自由な時代です。紫のファッションに身を包んでも誰からも文句は言われません。そういう自由な時代に、優れた素材である桐を使わないのは、つくづくもったいないことだと私は思います。

桐は地球を救うと信じて

イシモクのふるさとである加茂市は国内でも屈指の桐箪笥の産地です。
この加茂では昔から女の子が生まれると桐を植える習慣がありました。その女の子が嫁ぐ時に、その桐で箪笥を作って嫁入り道具として持たせてやろうというわけです。

「桐って、そんなに早く育つの?」と思われる方もいると思いますが、実際に桐の成長は早いんです。だいたい15年から20年で、素材として使えるまでに育ちます。昔の女性は嫁ぐのが早かったので、ちょうど良かったわけですね(笑)。

環境問題に関心のある方は、桐が早く育つというこの特性に一つの可能性を見いだすことでしょう。つまり、桐を建材としてもっともっと活用すれば、それだけ緑の保護に役立つのです。緑は一度伐採すると、その回復までに長い歳月がかかります。例えば杉が育つまでに必要な年数は約80年、松は約40年です。桐ならその四分の一から半分の歳月でまた使えるようになるわけです。桐を活用すれば、回復に時間のかかる樹木は伐採する必要がなくなります。そのぶん緑が守られるということですね。

私は桐が環境に優しい素材だと常々言っていますが、これは暮らしの環境だけではなく、地球環境にも関わることです。日本はこれまで安い建材を輸入するために、海外の森林を大変な勢いで伐採してきました。 地球上から緑が失われると、どうなるか。大気中に二酸化炭素が増え、温暖化という問題につながります。気温が上昇して異常気象を招く、南極の氷が溶けて海面があがるなど、いろんな弊害を引き起こします。そういう事態が進むのを少しでもくい止める方法として、桐の活用があると私は強調したい。 日本が海外で伐採した貴重な緑の資源は、固くて冷たいフローリング材に使われてきたことを考えると、その思いはなおさら強くなります。だって暮らしに役立つならともかく、そうじゃないわけですから。二重の意味で、資源の浪費だと思いませんか?

桐は人も癒します

私は自分のことを「桐の伝道師」と称することがあります。“桐(キリ)スト”だ、なんて冗談まじりなんですが(笑)。でも、桐を使うことは緑の不毛な伐採を防ぎ、ひいては地球環境の保護に役立つことは間違いがありません。だから桐の素晴らしさを一人でも多くの方に伝えていくのは、私にとって使命のようなものなのです。

桐は地球に優しいだけではありません。人にも優しくはたらきかけます。

その一つのケースとして、とある医学系の大学ではリハビリルームの素材に桐を採用したことがあげられます。これは桐が持つヒーリング効果、つまり癒しですね、それに着目したからです。また、イシモクの展示場には親御さんに連れられて子どもたちもたくさん来るんですが、彼らの多くが「ここに来ると気分が良くなる」と言います。子どもは正直で、感性も敏感。桐が作り出す空間の心地よさを本能的に感じ取るのでしょう。かくいう私も桐の家に住んでいます。床はもちろん、壁や階段、テーブル、ベッド、お風呂などに桐を使っています。手前味噌になるのは重々承知で言うのですが(笑)、この暮らしがまた快適。毎日を気持ちよく過ごせます。モデルハウスとしても公開しているので、ぜひ足を運んでみてください。今年、私は中国に合弁会社を作り、桐の生産を始めました。近々には東京に桐製品を販売するお店も出す予定です。こうしたことは、桐の魅力を広く伝えるためのものに他なりません。

桐の伝道師これまで述べてきたように、桐は住まいの環境を良くしてくれる素材であり、しかも地球に優しい素材です。私はこの優れた素材に出会えたこと、仕事にすることができて本当に良かったと思います。
最後に私がモットーとしている言葉を。

「作り手の喜びは、使い手の悦びであり、桐の幸せである」

最後までおつきあい下さいまして、ありがとうございます。

石山 陽右

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